第8の教え:変わるために変える?

電車の中の広告に
「変わるために変える。
変えるために変わる。」と、言う
ある大学のキャッチコピーが出ていました。

まるで、「問答」のような、言葉でした。
私の事を変わるためには、変えないといけない?
だから、私の事を変えるためには、変わらないといけない?
だったら、どうすればいいの!と、なりますよね。
混がらがってしまいますよね。


般若心経の中に
「色不異空(色形のあるものは、総て実体がない事)
空不異色(実体がない事は、色形が在る事)
色即是空(色形が在るからこそ、実体がない)
空即是色(実体がないから、色形が在る)」と、
一節があります。
ややこしい、言い回しです。

私達は普段から、
周りによって決められた事に振り回されています。
「綺麗」とか「汚い」とかは、誰が決めたのでしょうか?
その時の価値観で、決めただけじゃないですか。
元々、そんなものは無かったのです。

世界三大美女のひとり「小野小町」は、
その時代では「美女」だったでしょが、
現在でしたら、のっぺりとした変な顔でしょうね!
何かの基準がなければ、
良い悪いの判断が下せないのです。
良い悪いの「物差し」で決めているだけです。
「ひとりの人間」に変わりはないのですから。

何かの基準で判断して、
一喜一憂して振り回されているのだけです。
人と比べて、綺麗か汚いか?
人と比べて、幸せか不幸せか?
こんなもの基準(形)が変われば、
一気に逆転していします。
綺麗も汚いも、幸せも不幸せも、在りません。
元々、そんな基準、価値観は無かったのですから。
私達は何かと比べて、判断をしているからです。
此れも「ゲシュタルト」の捉え方です。

初めの
「変わるために変える。
変えるために変わる。」も、
この考え方に当てはめれば、
おもしろい解釈が出来ます。

変わる事を意識して拘っているから、
変わらない。
変わろう変わろうとしている時は、
変わらないものです。
「変わるなければならない」と言う形に、
囚われているから、変われないのです。
変わった形は、無いのですから。
元々、変わる形は人それぞれですから。

「良い処も悪い処も含めてこれが私だ」と、
思えた時
周りの人から「変わったね」と言われます。
私の実感でも在ります。
「ありのままの私」を、認める事が変わる事。
が大切です。

こんなことも、
カウンセリングの勉強の中で伝えるのですよ。